故人たち
Dec 13, 2025 19:39
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Japanese
私の父は、1955年生まれで、15歳の頃、大工を学びました。1970年代や80年代の中国では、「万元户(当時中国のみんな、給料はわずか数百元でしたが、父はすでに1万元の貯蓄がありました)」と呼ばれたお金持ちがいました。父は、その一人でした。その後、父は1988年、日本へ渡って出稼ぎに行きました。父は、バルブ経済のときの東京で、いろんなバイトをしてきました。父は、学習能力が高いので、中華料理屋の皿洗いからとあるレストランの料理人になりました。給料は50万円ほどでした。それを知って、私は驚きました。なぜかというと、1990年代の中国は、みんな給料はわずか数百元でしたが、父は50万円(当時の為替で計算すると、3万元ほど)をもらっていました。普通の人より、100倍高の給料でした!時代、そして国の差と父の料理人の腕のおかげでした。1997年、父は中国へ帰って、自分で中華料理屋を開きました。そして成功しました。でも、父は満足できず、不動産事業に進出しようとしました。それは、大失敗しました。その話は後で。父は、不動産事業をやるとき、王さんという人と知り合いました。王さんは、当時30代で、イケメンで真っ赤なズボンを履いています。「彼女と一緒に楽しもう、良い週末を」と、王さんはいつもそう笑って、言います。やっぱり、女性にモテる男です。王さんは、ニュージーランドや日本で生活したことがあります。いま、父はまた日本に戻って、王さんと山本さん一緒に何かをやっています。私は、ここ10年父と連絡をとっていません。この無責任の男たちを見て、私は怖くなって、嘆いて、ただ去っていきます。

